2014年04月08日
黒田家のルーツを訪ねて
先日4月5~6日と滋賀県の友人の別荘に行ってきました。高校時代の友人が男女4名ずつ訪問し
旧交を温めました。
出身である福岡のメンバーが中心ですが、岡山、三重、奈良(小生)から新幹線の米原駅へ集まり
ました。滋賀の友人と一日早く来ていた友人達の運転で車2台に分乗し最初の目的地に向かいまし
た。
初日は長浜城近くの「豊公園」でほぼ満開の桜を見ながら豪華な花見弁当を頂きました。途中で少
し冷えてきたので早めに打ち切り次の目的地に向かうことにしました。ただその花見弁当が豪華すぎ
て殆どの人が食べきれずに残していましたので、もったいないということで持ち帰って夕食の足しにし
ようと言うことになりました。
その後、西国三十三ヵ所巡りをしている三重の女性の希望で定期便の琵琶湖汽船で「竹生島」へ
向かいました。そこには三十番札所の「宝厳寺」があります。私も今回で三回目のお詣りでした。
たまたまオランダからのお遍路姿の団体と同船し、英語に多少自信のある友人が質問していまし
た。ただどうい言う意図で来ているかは聞き出せなかったようです。日本人でも色々な理由で参拝
しているので、ましてや外人さんの意図は・・・
四国歩き遍路でも外人さんを時々見かけましたが、日本の仏教に関心を持っている外人さんが多
いのも事実のようです。
竹生島の「宝厳寺」にお参りした後は再度定期便で同じ乗船客と帰途につきました。ただ違うのは
最終便だったので現地のガイドさんやお土産物売り場の方も同船していたことです。要は通いで仕
事をしているということのようです!
その日は夕食の買い出しをして別荘へ戻り、花見弁当の残りや追加の食材を肴に夜遅くまで積
もる話に花が咲きました。
翌日はガイドさん2名を予約してあり、それぞれの車に乗っていただき移動の道中でガイドをしても
らいました。これはかなりリッチな観光旅行になりました。先ずは大河ドラマ「軍師黒田官兵衛」のル
ーツを訪ねることになり北近江の「木之本町黒田」に向かいました。
黒田家のルーツには諸説あるようですが、ここ木之本の黒田家御廟所には黒田家13代・黒田長
成さんの筆による「黒田氏旧縁之地」の石碑があり、黒田家が認めたルーツと言えるようです。今
年の大河ドラマ「軍師黒田官兵衛」は姫路や大分県の中津、滋賀県の黒田と福岡以外にも沢山の
関係先があり、あちらこちらで町興しの恩恵にあずかっているようです。
その後は長浜に戻る道中で賤ヶ岳古戦場や姉川古戦場などの説明を受け、小谷城歴史資料館
では姉川の戦いなどで敗れた浅井氏の戦いぶりや浅井三姉妹(お茶々、初、お江)などのその後な
どを勉強し、北近江が戦国時代の中心的な存在だった事を再認識しました。「近江を制する者は天
下を制す」とは戦国時代に言われた言葉で京へ上る要衝であったことが伺えます。
最後は長浜市内へ戻り、街歩きを堪能しました。先ずは「曳山博物館」で今月13日から始まる「曳
山まつり」の準備状況や子供歌舞伎の練習風景を見学しました。また思わぬ出会いとして、今年1
月に話題になった長浜の旧家の土蔵の「カラクリ箪笥」で見つかった小判の展示も見ることができ
ました。総額2000万円のお宝でした。また「カラクリ箪笥」もこの手で触りました。
長浜の「茂美志屋」でのっぺいうどんの昼食を食べた後、大通寺を見学しそこでガイドさんと別れ
ました。その後は自由散策となりガラス細工の「東壁スクエア」やミニチュア細工の「海洋堂」を見学
して長浜の街を後にしました。
その日の夕食を中華料理店で食べた後、他のメンバーはもう一泊するようで車2台で別荘へ戻り
ました。 私は翌日の福岡帰省で奈良へ戻るために途中の「JR能登川駅」まで送ってもらい皆と別
れました。
竹生島の「宝厳寺」本堂です。

2000年に350年ぶりに再建された三重塔です。

竹生島の中腹から港を見たところです。
乗ってきた琵琶湖汽船の船が停泊しています。

国宝の唐門です。現存する大阪城の唯一の遺構です。

黒田家の家系図で「官兵衛」の八代前の「宗清」がここの
出身であることが石碑で証明されているようです。
逆に言うと一番上の「佐々木源氏成頼」などは後からつけられた・・・

「黒田氏旧縁之地」の石碑です。

「黒田家発祥の地 木之本町黒田」を謳った町興しののぼりです。

「黒田家始祖後廟所」の看板です。

長浜では「黒田官兵衛博覧会」が開催されていました。

旧交を温めました。
出身である福岡のメンバーが中心ですが、岡山、三重、奈良(小生)から新幹線の米原駅へ集まり
ました。滋賀の友人と一日早く来ていた友人達の運転で車2台に分乗し最初の目的地に向かいまし
た。
初日は長浜城近くの「豊公園」でほぼ満開の桜を見ながら豪華な花見弁当を頂きました。途中で少
し冷えてきたので早めに打ち切り次の目的地に向かうことにしました。ただその花見弁当が豪華すぎ
て殆どの人が食べきれずに残していましたので、もったいないということで持ち帰って夕食の足しにし
ようと言うことになりました。
その後、西国三十三ヵ所巡りをしている三重の女性の希望で定期便の琵琶湖汽船で「竹生島」へ
向かいました。そこには三十番札所の「宝厳寺」があります。私も今回で三回目のお詣りでした。
たまたまオランダからのお遍路姿の団体と同船し、英語に多少自信のある友人が質問していまし
た。ただどうい言う意図で来ているかは聞き出せなかったようです。日本人でも色々な理由で参拝
しているので、ましてや外人さんの意図は・・・
四国歩き遍路でも外人さんを時々見かけましたが、日本の仏教に関心を持っている外人さんが多
いのも事実のようです。
竹生島の「宝厳寺」にお参りした後は再度定期便で同じ乗船客と帰途につきました。ただ違うのは
最終便だったので現地のガイドさんやお土産物売り場の方も同船していたことです。要は通いで仕
事をしているということのようです!
その日は夕食の買い出しをして別荘へ戻り、花見弁当の残りや追加の食材を肴に夜遅くまで積
もる話に花が咲きました。
翌日はガイドさん2名を予約してあり、それぞれの車に乗っていただき移動の道中でガイドをしても
らいました。これはかなりリッチな観光旅行になりました。先ずは大河ドラマ「軍師黒田官兵衛」のル
ーツを訪ねることになり北近江の「木之本町黒田」に向かいました。
黒田家のルーツには諸説あるようですが、ここ木之本の黒田家御廟所には黒田家13代・黒田長
成さんの筆による「黒田氏旧縁之地」の石碑があり、黒田家が認めたルーツと言えるようです。今
年の大河ドラマ「軍師黒田官兵衛」は姫路や大分県の中津、滋賀県の黒田と福岡以外にも沢山の
関係先があり、あちらこちらで町興しの恩恵にあずかっているようです。
その後は長浜に戻る道中で賤ヶ岳古戦場や姉川古戦場などの説明を受け、小谷城歴史資料館
では姉川の戦いなどで敗れた浅井氏の戦いぶりや浅井三姉妹(お茶々、初、お江)などのその後な
どを勉強し、北近江が戦国時代の中心的な存在だった事を再認識しました。「近江を制する者は天
下を制す」とは戦国時代に言われた言葉で京へ上る要衝であったことが伺えます。
最後は長浜市内へ戻り、街歩きを堪能しました。先ずは「曳山博物館」で今月13日から始まる「曳
山まつり」の準備状況や子供歌舞伎の練習風景を見学しました。また思わぬ出会いとして、今年1
月に話題になった長浜の旧家の土蔵の「カラクリ箪笥」で見つかった小判の展示も見ることができ
ました。総額2000万円のお宝でした。また「カラクリ箪笥」もこの手で触りました。
長浜の「茂美志屋」でのっぺいうどんの昼食を食べた後、大通寺を見学しそこでガイドさんと別れ
ました。その後は自由散策となりガラス細工の「東壁スクエア」やミニチュア細工の「海洋堂」を見学
して長浜の街を後にしました。
その日の夕食を中華料理店で食べた後、他のメンバーはもう一泊するようで車2台で別荘へ戻り
ました。 私は翌日の福岡帰省で奈良へ戻るために途中の「JR能登川駅」まで送ってもらい皆と別
れました。
竹生島の「宝厳寺」本堂です。

2000年に350年ぶりに再建された三重塔です。

竹生島の中腹から港を見たところです。
乗ってきた琵琶湖汽船の船が停泊しています。

国宝の唐門です。現存する大阪城の唯一の遺構です。

黒田家の家系図で「官兵衛」の八代前の「宗清」がここの
出身であることが石碑で証明されているようです。
逆に言うと一番上の「佐々木源氏成頼」などは後からつけられた・・・

「黒田氏旧縁之地」の石碑です。

「黒田家発祥の地 木之本町黒田」を謳った町興しののぼりです。

「黒田家始祖後廟所」の看板です。

長浜では「黒田官兵衛博覧会」が開催されていました。

Posted by PANDORA at 23:01│Comments(8)
│風景
この記事へのコメント
黒田家のルーツは姫路ではなく、滋賀県木之本町黒田ですね。
勉強になりました。
そう言えば、我が家のルーツはどうなのか、調べてみたくなりました。
ルーツは詳しくは分からないが、私が知っている祖先は
5代先までです。それ以前は不明です。
勉強になりました。
そう言えば、我が家のルーツはどうなのか、調べてみたくなりました。
ルーツは詳しくは分からないが、私が知っている祖先は
5代先までです。それ以前は不明です。
Posted by 日々是好日 at 2014年04月11日 23:06
日々是好日さん
お早うございます!
福岡のルーツは備前福岡村ですが、黒田家のルーツは
滋賀県の木之本町黒田村です。
我が家のルーツもお寺の過去帳で調べると、江戸時代
初期の元禄まで遡れました。
お早うございます!
福岡のルーツは備前福岡村ですが、黒田家のルーツは
滋賀県の木之本町黒田村です。
我が家のルーツもお寺の過去帳で調べると、江戸時代
初期の元禄まで遡れました。
Posted by PANDORA
at 2014年04月12日 08:55

^^初めまして^^
タイトルをみて 思わずブログを拝見いたしました
実は私も今日 木之本を訪ねていました
数日前には長浜や竹生島へも・・・
同じような写真をみてコメントいたしました
これからも楽しみに見せていただきま~す
タイトルをみて 思わずブログを拝見いたしました
実は私も今日 木之本を訪ねていました
数日前には長浜や竹生島へも・・・
同じような写真をみてコメントいたしました
これからも楽しみに見せていただきま~す
Posted by えみりーん
at 2014年04月12日 23:15

えみり~んさん
コメントありがとうございます!
ブログも拝見しました。そのブログにあった地蔵院にも当日行きました。
奈良の住人なので滋賀の情報は少ないと思いますが、これからもよろ
しくお願い致します。
私も山が好きなので、そちらの紹介は出来ると思います。
コメントありがとうございます!
ブログも拝見しました。そのブログにあった地蔵院にも当日行きました。
奈良の住人なので滋賀の情報は少ないと思いますが、これからもよろ
しくお願い致します。
私も山が好きなので、そちらの紹介は出来ると思います。
Posted by PANDORA
at 2014年04月13日 09:38

黒田官兵衛は姫路支店に赴任時、司馬遼太郎の「播磨灘物語」を読んで
姫路の一つ手前の「御着」が本拠地だと知り、周辺を散策した覚えがありま
すが、木之本が黒田家発祥の地とは知りませんでした。
勉強になりました。
姫路の一つ手前の「御着」が本拠地だと知り、周辺を散策した覚えがありま
すが、木之本が黒田家発祥の地とは知りませんでした。
勉強になりました。
Posted by akimaru at 2014年04月13日 11:03
akimaruさん
こんにちは!
私も「播磨灘物語」は昔読みました。
滋賀県の黒田村で活躍していたようですが、1511年の山城国船岡山の
戦いに参戦した時に軍名違反で厳しく咎められ黒田村を去り、備前福岡村
に流れ着いたようです。
ただ「播磨国多可郡黒田庄(現・西脇市)近辺に黒田氏が存在していた」と
言う説もあり、滋賀県木之本町黒田村説と播磨国多可郡黒田庄説の両方と
も確実な証拠は見つかっていないと言うのが実情のようです。
部将の歴史を調べると特に過去の話は途中から怪しくなるのが常ですが、
黒田官兵衛も例外ではなさそうですね!
でもそこが面白いのかも・・・
こんにちは!
私も「播磨灘物語」は昔読みました。
滋賀県の黒田村で活躍していたようですが、1511年の山城国船岡山の
戦いに参戦した時に軍名違反で厳しく咎められ黒田村を去り、備前福岡村
に流れ着いたようです。
ただ「播磨国多可郡黒田庄(現・西脇市)近辺に黒田氏が存在していた」と
言う説もあり、滋賀県木之本町黒田村説と播磨国多可郡黒田庄説の両方と
も確実な証拠は見つかっていないと言うのが実情のようです。
部将の歴史を調べると特に過去の話は途中から怪しくなるのが常ですが、
黒田官兵衛も例外ではなさそうですね!
でもそこが面白いのかも・・・
Posted by PANDORA
at 2014年04月13日 13:30

高校時代の旧友と実り多い旅行されましたね。
何時までも記憶に残る旅行になったと思います。
黒田官兵衛が木之本黒田がルーツであることは
何かの本で知っていましたが未だ訪ねたことはありません。
何時までも記憶に残る旅行になったと思います。
黒田官兵衛が木之本黒田がルーツであることは
何かの本で知っていましたが未だ訪ねたことはありません。
Posted by dojyou38 at 2014年04月13日 22:05
dojyou38さん
こんばんは!
今年は全国の黒田官兵衛関連施設で町興しを開催しており、
大河ドラマの影響は計り知れないものがありますね!
私も残るは備前福岡村だけになっています。
何時行くか?今でしょ!・・・中々難しいですが・・・
こんばんは!
今年は全国の黒田官兵衛関連施設で町興しを開催しており、
大河ドラマの影響は計り知れないものがありますね!
私も残るは備前福岡村だけになっています。
何時行くか?今でしょ!・・・中々難しいですが・・・
Posted by PANDORA
at 2014年04月13日 23:08
