4月19日に宝満山の洞窟(七窟)巡りに行きました。今回は宝満山の洞窟を熟知した男性
をガイドに洞窟巡りがメインの登山です。男性4名、女性10名総勢14人のかなりの大所帯に
なりました。最初は7~8名の予定が結局14名まで膨らみました。
大宰府の竈門(かまど)神社に8時10分に集まり体操をした後登山開始です。先ずは愛嶽
山(おたけざん)に向かいました。 愛嶽山(439m)に着いて愛嶽神社(祠)にお参りし休憩後
鳥追峠へと向かいました。 鳥追峠から「かもしか新道」を登っていく途中の大谷尾根道の手
前に「大南窟」への下り斜面がありました。と言っても標識も何もないので経験者しか判らない
ようです。
ガイドさんの後をついて斜面を降りていき、しばらく下ると「大南窟」がありました。中に入ると
三畳~四畳ほどの広さがあり小さな洞窟になっていました。昔はコウモリが沢山いたようですが
今では全くいませんでした。人が近づくのでねぐらを変えたのかもしれません。
大南窟から出てきて少し上に登り返すと20mはあろうかと思われる高い岩が聳えていました。
誰かがここに登りましょうと言うことで、ザックを下において登り始めました。私も登るように声
がかかりましたので後ろについていきました。岩場を多少難儀しながら登り切ると大変見晴らし
の良いてっぺんにつきました。ここからの眺めは抜群の景色でした。実際にはこの岩場の真下
が大南窟になっているとのことでした。
再度元来た道に登り返して更に上を目指しました。宝満山頂上のすぐ下にキャンプ場があり、
そこまで到達したところで昼食タイムとなりました。ゆっくり昼食をとった後次の目的地を目指す
のですが、行程が遅れていることもあり次は下りの途中にある「法城窟」へ向かいました。
友人の一人が体調がすぐれないということで、そこからは単独で下山することになりました。
下山は正面道だったのでゆっくり降りるように声をかけて見送りました。
「法城窟」は宝満山頂上から中宮跡へ降りる途中でいつもの正面道の脇にありました。標識は
見たことがありましたが、いつもは無意識に見過ごしていたところです。その標識の方向にしばら
く歩くと大きな倒木の影に洞窟の入り口がありました。
ライトを頭に付けて洞窟の中に入りましたが、電池が消えかかっていたのか殆ど前が見えない
状態で進むことになりました。前後の人の明かりを頼りに何とか奥へと入っていきましたが、しば
らく進むと前方から明かりが漏れていました。結局通り抜け出来る洞窟だったようです。
本来は「法城窟」の中に石像や梵字の書かれた岩があるのですが、ライトが役に立たなかった
ために全くそれらを見ることができませんでした。次回にリベンジすることを誓ったものです。洞窟
を出て少し回り込むと最初の入り口に戻りました。洞窟の中は20~30mは歩いたでしょうか。
通常は七つの窟を回るのですが全部回ると宝満山を二回登るような行程なので、今回は3~4
個を回る予定でしたが、最初の行程で遅れが出たために二つまでとし残りは次回に回すことにな
りました。
竈門神社からのバスの時間を頭に入れながら下山しましたが、丁度良いバス便が無かったので
途中からは林道を歩いて時間調整をしました。竈門神社まで降りてきてバスに乗り込もうとしたとこ
ろ、駐車場に友人の車がまだ残っていました。かなり先に下山したのでもう家路についたと思って
いたら車があったのでびっくりしたものです。
急遽バスに乗らずに一人だけ皆と別れて、下山してきた道を戻りました。万が一どこかで怪我で
もして倒れこんでいたら大変と思った次第です。しばらく歩いていると上からその友人が降りてきま
した。中宮跡から行者道を下山してその後道に迷い、少し藪漕ぎして何とか正面道に戻れて下山
してきたようです。我々も行者道を降りたので、途中で我々に抜かれていたことになります。
二人だけだったので車で近くの温泉に行き、登山の疲れをしっかり落として家路につきました。
愛嶽山山頂の祠です。
祠の中には馬に乗った人物像がありました。
「シャガ」が可憐に咲いていました。
「大南窟」の中にあった石像です。
これも「大南窟」の中です。
「大南窟」の看板が入り口近くにありました。
ただ、ここへ降りる道には看板がありませんでした。
「法城窟」の側にあった看板です。
「法城窟」の入り口です。奥行きは20m以上ありました。
下山の途中で見かけた「シャクナゲ」です。
同じく「フデリンドウ」です。「ハルリンドウ」と良く間違えます。