4月初めに広島、山口を旅行してきました。福岡の時の山友からお誘いがあり、二つ返事でOK
したものです。女性4人、男性3人合計7人の混成部隊です。初日は広島駅で集合し、山口県岩国
市の錦帯橋へ向かいました。岩国に到着すると、すぐにバスに乗り換えて錦帯橋へ向かいました。
錦帯橋は二度目でしたが、今回は桜をバックに錦帯橋を愛でようという趣向でした。桜の方は
まだ五分咲き程度でしたが、青空をバックに絵になる写真が撮れました。丁度お昼頃でしたので
錦帯橋のたもとにある屋台で各々が好みのものを頼んでいました。
その後、山の上にある「岩国城」を目指しました。皆さん登山家なので本来は歩きなのですが、
今回は観光がメインなので早速ロープウェイに乗りました。降りた駅から岩国城まで少し距離が
あるので、そこはルンルン気分で皆で登って行きました。
お城が見えるところまで来ると、何か「ブーン!」と言う唸り声が響いていました。近づいてみる
と若者が立った状態で何かを操作していました。思わず音の方向を見上げると「ドローン」がお城
の周りを周回していました。カメラがついているのか若者は手元の画面に集中していました。
その様子を横目で見ながら、岩国城の天守閣へ登りました。例によって各階には武具や城の
写真などが所狭しと展示されていました。小さなお城でしたので一通り見学して、城外へ出て
周りの景色をカメラに収めていました。若者はその間もずっとドローンと格闘していました。
かなり待っていたのですが、あまりにも他のメンバーが降りてくるのが遅いので、先に戻ったの
かと思いロープウェイの乗り場まで引き返しました。駅に他のメンバーがいなかったので、スマホ
で状況を確認すると、「今、城から出てきた!」とのことでした。皆が戻るのを静かに待ちました。
全員揃ったところで、ロープウェイで下山し岩国を後にしました。一旦広島へ戻りましたが、まだ
夕食には時間があったので、市電に乗り中心部の「原爆ドーム」へと向かいました。私は何度か
訪れていますが、大半の方が初めてでしたので、周りの施設などもゆっくり見学しました。
70年以上前の出来事ですが、年齢的にはその前後に生まれた人ばかりなので、それぞれの方
が幼少の頃の記憶をたどりながら、原爆の惨事に思いを馳せていました。ここに来るとなぜか厳
粛な気持ちになるのは、その惨事がそれぞれの記憶の中にしっかりと残っているからでしょう。
その日は一旦ホテルに入り荷物を部屋に置いて、夜の街へ繰り出しました。このメンバでよく行く
駅近くの居酒屋です。前もってメニューなどを調べておいて、席に着くなり飲み物を注文すると同時
に酒の肴を頼んでいました。今回は女性陣が多かったのでメニュー選びも任せました。
瀬戸内海で獲れた魚を安く食べられるので、知る人ぞ知る穴場的な居酒屋でした。丁度この日は
4月1日ということで新しい元号が発表された日でした。街角のアーケード街では「令和おめでとう!
平成ありがとう!」と言う看板が早速飾られていました。あとひと月で元号も変わります。
手元のスマホを見ていたら、カレンダーの翌月(5月)部分が早速「平成」から「令和」に替わってい
ました。テレビでは金属の湯飲み(おちょこ?)にレーザーで「令和」と印刷した商品を「日本で最初
に令和と書かれた商品です!」と声高に宣伝していました。5月以降は大変だなと感じました。
居酒屋での久しぶりの旧交を温めたあと、ホテルに戻り風呂に入るなどして翌日からの英気を養
うために早めに就寝しました。ただ久しぶりのホテルだったのでベッドが合わなくて朝までウトウト
した程度の浅い眠りでした。ただ実際には疲れが残っていたので睡眠で休養できたものでしょう。
翌日は今回のメインである呉の「大和ミュージアム」と江田島の「旧海軍兵学校」の見学でした。
この日はレンタカーを借りて広島から呉へ行きました。呉の「大和ミュージアム」へ到着すると、
様子が少しおかしいなと感じました。駐車場の車が少ないなという印象でした。
入口まで行くと「本日休館」の看板が立っていました。定休日(火曜日)とのことでした。月曜日が
休館のケースは時々ありますが、火曜日休館は珍しいなと感じました。やむを得ず実物大の潜水艦
模型?などを横目で見ながら次の目的地である「音戸の瀬戸公園」へ向かいました。
ただこちらも昨年の台風?でアクセス道路が崩壊し、途中で通行止めとなっていました。近くまで
行くと、わずかに歩けるような迂回路がありましたので、車をそこに止めて徒歩で向かいました。
15分くらいで到着し「第二音戸大橋」の雄姿や公園内の桜を見学することが出来ました。
その後江田島を目指しましたが、丁度お昼の時間となりましたので江田島の真ん中あたりの「江
南」の「海辺の新鮮市場」で昼食をとりました。ここは漁協が運営している食堂で、一階で好きな刺
身を持って二階へ上がり、定食を頼むというスタイルでした。小生はカキフライ定食を頼みました。
ご飯とみそ汁はお替り自由ということで若者にも人気があるようでした。かなりのボリュームの昼食
を平らげて、次の目的地へ向かいました。ここからは小生が運転することになりました。場所は「海上
自衛隊第1術科学校」と言うところで、戦前の海軍兵学校だということでした。
入口で厳重な検問がありましたが、「見学希望」と言うと構内へ案内されました。一旦車を駐車場へ
止めて、指定された場所に行き待機しました。時間が決まっているようで13時30分になると係の方
が来られて、事前の説明があり早速構内を案内していただきました。1時間半のコースでした。
先ずは「江田島クラブ」という建物の見学者控室で全体の概要を説明頂き、その後構内へ出て建物
を案内していただけるというスタイルでした。最初に行ったのが「大講堂」で立派な御影石の建物でし
た。いわゆる入学式や卒業式が行われる建物でした。過去には天皇陛下も来られたというところで
車止や入退場の専用入口がしつらえてありました。当然一般の人は出入りできませんとのこと。
丁度4月2日だったので新入生が隊列を組んで整列や行進の訓練を受けていました。かなりしっか
りした革のカバンを持ち号令一下整然と行動していました。聞くところによると今年防衛大学を卒業し
た学生100人も参加されているようでこれから現場へ配属される前の最後の訓練のようです。
次に向かったのが「幹部候補生学校庁舎」(旧海軍兵学校生徒館)でした。ここは実際の学生が生
活している場所なので内部の見学はできませんでした。ただ、赤レンガ作りの瀟洒な建物で戦前の
雰囲気がそのまま残っており、テレビドラマなどで時々撮影に使われるそうです。
最後は「教育参考館」でした。ここは江戸末期から現在までの、海軍の歴史や活躍した先人の方々
の紹介、また第二次世界大戦で戦死された方々の遺書などが展示されていました。若いころに映画
で見た真珠湾攻撃の話や戦争末期の人間魚雷の話など興味深く拝見しました。(写真撮影不可)
ガイドの方の話の中で一番印象に残ったのは「ここは一度も爆撃を受けなかった。と言うのも最後
の方では日本が負けることが判っており、この場所を米軍が施設として活用することを計算に入れて
いたからです。」と言う言葉でした。直ぐ近くの広島には原爆を落としたが江田島には一つも爆弾を落
とさなかった理由は戦後の活用方法まで計算した上での行動だったようです。いわゆる進駐軍の施
設として日本に返還されるまで大事に使われたようです。
その後、切串港からフェリーに乗り広島の宇品港へ到着。広島駅近くのレンタカー会社へ車を返却
しました。その日も夜はホテル近くの居酒屋で反省会と言う名目で夜遅くまで飲み明かしました。
翌日は最終日で、ホテルを引き払い尾道まで移動しました。尾道駅のコインロッカーに大きな荷物
を預け千光寺詣りと市内観光へと繰り出しました。千光寺へはロープウェイで上がりましたが、
1500本のソメイヨシノも5~8分咲きと言った風情で、満開の桜を見ることはできませんでした。
多分この週末から来週初め(4月6~10日)にかけては満開だと思います。千光寺からの下りは歩
きました。市内に降りたところで昼食を食べ最後のお土産を買ったりして市内観光を楽しみました。
また尾道駅から福山駅まで列車に乗り、そこで次回の再会を約束して九州組と別れました。
岩国の錦帯橋です。
岩国城です。ドローンが飛んでいました。
「広島原爆ドーム」です。
「原爆の子の像」です。
呉と倉橋島を結ぶ第二音戸大橋です。
海上自衛隊第1術科学校の大講堂の前で整列する幹部候補生たち。
「幹部候補生学校庁舎」(旧海軍兵学校生徒館)です。
きれいなフォルムで映画の撮影にもよく使われるそうです。
千光寺の桜並木です。屋台も出ていました。
千光寺のポンポン岩(鼓岩)でたたくとポンポンと音がしました。