今回のウォークは前半が地すべり多発地域の視察でした。最近は大雨の影響で日本各地で
地すべりが発生していますが、ここ「亀の瀬」は有史以前から発生していた稀有な地域です。
実際の場所は大阪府と奈良県の県境で、生駒山系と金剛山系がぶつかり合う場所でその間
を大和川が流れています。特に生駒山系から大和川へ流れ落ちる地すべりが過去何度も被害
を起こしていたようです。
データ的には4万年前の痕跡もあり、実際にはその前から発生していたようです。明治以前の
地すべりの記録は残されていなくて、明治以降に記録が現れてきています。最初は明治36年、
次に昭和6~8年(32ha)、昭和42年(50ha)に大規模な地滑りが発生しています。
地すべりの被害は田畑や家屋が流されることですが、それ以上に大変なことは大和川がせき
止められたり隆起したりして、水の行き場がなくなることです。結果として奈良盆地に水が溜まり
過去にも甚大な被害がありました。昭和7年は大和川上流部の王寺町等が水没しました。
この状態で更に雨が続くと大和川が決壊し大阪平野に大量の水が流れ込むことになります。
推定では奈良県側の被害より大阪側の被害が9倍ほど多くなると予想されています。この事態
を回避するために昭和37年より国の直轄事業として地すべり対策事業が実施されました。
昭和7年の時は全国から多い日で一日に2万人の見学者が来たようで、露店商が店を出すよ
うな盛況ぶりだったようです。また昭和42年の地すべりでは全世界から研究者が来日し大規模
な地すべりの様子を見学していったようです。
足掛け50年ほどの年月をかけて平成20年代の前半に完成を見たものです。工事の内容の詳
しい説明はここでは省きますが、大きくは土壌の水はけを良くする治水工事と土壌の下の固い
岩盤まで届く杭打ちが主な対策でした。杭(深礎)の直径は6.5m、長さは最大96mで合計170
基、規模の小さな鋼管杭が560本と世界最大級の工事が実施されました。
工事半ばの昭和60年頃からは地盤の移動量がかなり小さくなり、結果としてそれ以降には大
きな地すべりは発生していないようです。「亀の瀬地すべり」の話は今回説明を受けるまで全く
知りませんでした。国土交通省の方の現地案内も含めた丁寧な説明で記憶に残るウォークに
なりました。
その後食事をして、大和川流域を王寺方面へウォーキングしながら幾つかの寺社(亀瀬八幡
神社、関の地蔵、磐瀬の社、神奈備神社、龍田大社、多聞地蔵、久度神社)をお参りしました。
最後は王寺駅で解散となりました。
排水トンネルの入り口で「亀の瀬」の亀が描かれています。
排水トンネルです。全長7,236mの長さです。
集水井(排水を集める井戸)で54基あります。下から見上げたものです。
平成16年の工事で見つかった国鉄関西線のトンネル崩落現場です。
明治時代の鉄道遺構として一部を保存したものです。
鉄橋の下に補強の鉄橋が見えます。
龍田大社の立派な鳥居です。広島県宮島の厳島神社の鳥居と同じ形ですね。