新年ご挨拶

PANDORA

2022年01月14日 13:33


明けましておめでとうございます! 今年初めてのブログアップです。

前回12月4日以降もコロナ禍の中でウォーキングは続けています。ただし、先月の16日に
後期高齢者になったところで、やや気力が衰えてきているようでブログの更新が滞ってい
ました。今日は一念発起して昨日(1月13日)のウォーキングをアップしたいと思います。

 「かぎろひ歴史探訪」は先月16日の壺阪山近辺散策が今年度最後のウォーキングでした。

 昨日はその番外編として神戸のYさんが企画してくれました。寝屋川公園駅から四条畷駅
までを古墳や神社仏閣を訪ねて歩くコースです。

 先ずはJR学研都市線の寝屋川公園駅に10時集合です。少し早めに到着したのでYさんが
一人で待ってくれていました。その後三々五々と集まり総勢10名のグループが揃いました。
 直ぐ近くの「寝屋川市埋蔵文化財センター」で発掘された土器や石器を見学し、全体像を
確認したところで、最初の目的地「石宝殿古墳」へと向かいました。

 ここは横口式石槨の古墳と言うことで、奈良県にも二つしかない珍しい古墳とのことでした。
 大きな古墳の石が四角くくりぬかれており、内部は箱型の石室でした。その後「雷神石」、
「寝屋古墳」を見学し、寝屋川公園内で昼食となりました。

 昼食後は太秦古墳群へと進みました。ここは「第二京阪道路」建設の時に出土したものも
多く、大阪の初期古墳群としては貴重な古墳のようです。また、その近くに「高宮廃寺跡」が
あり、ここも見学しました。現在は「式内社大杜御祖神社」の境内に塔の礎石が残っている
だけで全容は判りませんが、復元すれば「薬師寺式伽藍配置」になるとのことでした。

 その後、四條畷市へ入り、「忍岡古墳」を見学しました。ここは忍陵神社の一部が倒壊し、
その復旧作業中に竪穴式石室が見つかり古墳であることが判明したものです。瓦のような
石を何枚も積み重ねた「前方後円墳の竪穴式石室」で、北河内地方で唯一竪穴式石室の
貴重な古墳のようです。

 最後は「四條畷市歴史民俗資料館」を見学しました。ここはJR学研都市線の東側にあり、
四條畷市内の遺跡の出土物を、イラストをまじえて展示したり、昔のくらしや道具などについ
て勉強したりと、楽しく四條畷市を知ることができるような施設になっていました。

 この後、四條畷駅近くの店で反省会を開く予定でしたが、オープンの時間にまだ余裕が
あり、一足伸ばして「四條畷神社」へと向かいました。ここは飯盛山の中腹にあり、最後は
階段を登って行くようになっていました。

 有名な楠正成公の嫡男楠正行公を祀っており境内には「桜井の別れ像(父正成公と嫡男
正行公の像)」があり、またその10日後に『足利尊氏』より送られてきた父の首を前に、悲し
みのあまり後を追って自害しようとした正行公を『父の遺訓を忘れたか』と母親(久子)から
懇々と諭して奮起させている様子の像もありました。

 その後お店の開店時間も近づいてきたので四條畷駅近くへ戻りお店の暖簾をくぐりました。
 席に着くといつものように反省会と言う名目で祝杯をあげました。今回は新年会も兼ねて!
 しばしの歓談の後、各自の家路につきました。今回は大阪平野の東側山麓と言うこともあり、
帰路はそれぞれの路線に別れて車中の人となりました。

 資料まで作り現地を案内して頂いたYさん、参加の皆さんご苦労様でした!


     「ねやがわ文化と歴史のみち」の看板(像)があちらこちらにありました。



           「石宝殿古墳」の正面です。内部には石棺のスペースがありました。



                     その(石宝殿古墳)説明の看板です。



            四條畷市の「忍岡古墳」です。平らな石が積み上げられています。



                四條畷神社の由緒書きです。楠正行を祀っています。



                       四條畷神社の本殿です。



            楠木正成(父)と楠木正行(子)の別れのシーン(桜井の別れ)です。


  
            楠木正成の妻久子が楠木正行に自害を思い止めさせるシーンです。


















関連記事