2014年06月17日

久住で芹洋子コンサート(一日目)

15日(日)に「芹洋子コンサート」を聴きに行きました。

 場所は久住連山の法華院温泉山荘です。標高1300mの所にある九州で一番高い場所の温泉
です。つまりコンサートに参加するためには山を登らなければ聴くことができません。

 早朝6時半に天神で待ち合わせし、山友3人で一路高速を九重ICに向けて出発しました。

 九重ICからは高速を降りて大分県の「長者原ビジターセンター」に向かいました。そこに車を止め
て準備運動の後、タデ原湿原を横切って登山道に向かいました。今回は「雨ヶ池」から「坊ガツル」
へ向かいました。坊ガツルにはテント場があって10組以上のテントが既に貼ってありました。

 会場の法華院温泉山荘は坊ガツルの奥にありますが、お昼時だったので事前に購入していた弁
当を食べ、その後、予定の時間より1時間も早かったので、「平治岳」へ登ることにしました。

 坊ガツルの湿原を通って登山口に向かい「大船山」との分岐にでて、平治岳へ登り始めました。
 帰りには同じ場所を通るのでリュックはテント場に置いて、水などの最低必要なものだけを持って
登山を開始しました。

 平治岳は登るにつれて「ミヤマキリシマ」が咲き乱れており、先日登った久住山とは雲泥の差が
ありました。久住連山も場所によってミヤマキリシマの咲き具合が違っているのを実感しました。

 平治岳もピークが二つあり、最初のピークは「だまし」です。実際の山頂はそこから少し降りて、
再度登った所にありました。一週間前の久住山・扇ヶ鼻より格段にきれいに「ミヤマキリシマ」が
咲いていました。虫も全くいない状態でした。

 平治岳の山頂でひとしきり景色とミヤマキリシマを堪能した後はゆっくりと下山開始しました。

 坊ガツルまで降りて置いていたリュックを背負って、本日の最終目的地である「法華院温泉山荘」
へと向かいました。山荘では先ず温泉に入ってその後夕食を食べました。「芹洋子コンサート」は
19時半開始だったのでそれまで 持ち込みの焼酎とつまみで時間をつぶしました。

 コンサートが始まるころには会場(食堂)には2百人ほどの人で溢れかえっていました。山荘の
スタッフは椅子が足りなくて奥から運び出して並べていました。このコンサートは1年前から計画さ
れていたので、知っている人は早くから申し込んでいたようです。私は山友から一ヵ月ほど前に誘
われて申し込んでいました。

 開始時間が来ると山荘のご主人が先ずは開会のあいさつを述べられて、その後「芹洋子」さんが
登場しました。最初の曲は最大のヒット曲「四季の歌」でした。この歌は私のカラオケの持ち歌であ
り、またキーボードで最初にマスターした曲だったので思い出の曲としてじっくり聴きました。

 また曲の合間で話が入り、四季の歌に因んで「好きな季節」は何時ですかと言う問いかけがあり
ました。「春が好きな人!」との問いかけにかなりの人が手を挙げました。何人かに好きな理由を
訪ねながら皆の笑いを引出していました。

 私は夏が好きだったので「夏が好きな人!」の問いかけに一番に手を挙げました。ところが他に
誰もいなかったのです。芹洋子さんからその理由を尋ねられて、「スポーツが好きで汗をかくことも
好きなので夏が一番です!」と答えました。「あら、そうなの!」と答えていただいて、皆の笑いを誘
うような展開にはなりませんでしたが、私にとっては貴重なひとときでした。

 その後、秋と冬も同じような問いかけと回答のやり取りがありました。その流れの中で季節の歌
と言うことで、春夏秋冬の各季節に因んだ歌を聴かせてくれました。

 一番盛り上がったのは「坊ガツル讃歌」を唄われた時でした。この歌は彼女の持ち歌の中でもか
なりの思い入れがあり、心をこめて歌ってくれました。つまり「坊ガツル」のその場所でこの歌を披露
するわけですから、聴く方にも大きな思い入れがあるわけです。要は「山男」の歌なのです。

 彼女がこの歌を知ったのは、、昭和52年夏の阿蘇山麓の野外コンサート(海援隊、小室哲哉等)
で、夜、宿舎のテントにギターを持った若者たちが遊びにきて、「坊がつる讃歌」を唄うのを聴いて、
「これは素晴らしい!」と感激し、コンサートで歌ってみようと思ったのがきっかけのようです。

 この歌はもともと昭和14年に広島高等師範(現広島大学)の山岳部が出来たときに「山男の歌」
として昭和15年に作られたものです。その後昭和27年に九州大学の学生3人が坊ガツルで替え歌
を作ったのがきっかけで、九州の山男達に少しずつ広がっていきました。

 昭和53年のNHKの「みんなのうた」で芹洋子さんが前年に感激した歌を披露して、認知され始め
ました。そして最終的には同じ昭和53年の紅白歌合戦で初出場の芹洋子さんが歌って一躍山男
たちの間でメジャーな曲となったようです。

 後半はその流れで山の歌を中心に何曲か披露してくれました。ただ彼女にはもう一つの貴重な
体験があるのです。それは彼女自身が交通事故(バイクと衝突)で外傷性急性硬膜下血腫となり
一時は生命も危ぶまれる大怪我でしたが、その後遺症として記憶喪失となりました。

 つまり記憶が一斎無くなったのです。お医者さんは彼女のそれからの二ヶ月間の仕事をすべて
キャンセルするように言われたようです。二ヶ月後にはなんとか歌えるようになるだろうとの判断
からでした。


 その時期、彼女は結婚していましたが、自分の旦那さんも記憶にありません。そこからが旦那さ
んとの二人三脚で歌の猛練習が始まりました。「自分は芹洋子で歌手である」ということを徹底的
に頭に叩き込んでその気にさせて、歌の練習に励んだようです。二ヶ月後には何とかコンサート
を開催できるレベルまで回復できたようです。

 無事にコンサートも終わり、最後の「坊ガツル」の歌を唄っている時に、1,2番は大丈夫でしたが
4番の歌詞がでてこなくなったようです。会場は一瞬シーンとなりましたが、その後会場のみんなが
大きな声で4番の歌詞を唄い始めたそうです。感激で胸がいっぱいになったと話してくれました。

 『「一度しかない人生を精一杯生きなさい!」とよく言われますが、私は二度の人生を貰いました。
 これからの与えられた二度目の人生を大切に生きていきたい!』と締めくくってくれました。

 今回の会場でも最後に皆で「坊ガツル」の歌を唄ってお開きとなりました。コンサートの後は恒例
のCD販売、自作のステンドグラス(小物)販売がありましたが、CDは直前の別の会場で売り切れ
ていたために予約販売となりました。大勢の方が予約注文書(メモ)に住所・指名・電話番号等を
記入していました。

 また、会場入り口では記念撮影などもあり、私の友人も芹洋子さんとのツーショットの写真を撮っ
て貰っていました。本人曰く「一生の宝物です!」と感激していました。 普通のコンサートではこん
なことはありませんが、山小屋の食堂という舞台設定がそれを可能にしたようです。

 コンサートが終わって焼酎がまだ残っていたので、友人たちと3人で食堂でつまみを食べながら
飲んでいたところ、しばらくして普段着に着替えた芹洋子さんが食堂に戻ってきてスタッフと夕食兼
反省会のような打ち合わせがビール片手に始まっていました。少し離れた席でしたが、神妙な顔で
臨んでいる姿も絵になっていました。

 我々は焼酎が無くなったところでお開きとし、150人程が詰め込まれた大部屋に戻って就寝しま
した。

 長文、駄文で失礼いたしました!


初日は左上の長者原から時計まわりで右下の法華院温泉山荘まで歩きました。
      真ん中の山が三俣山(みまたやま)でその周りを一周しました。
久住で芹洋子コンサート(一日目)


                 「坊ガツル」です。奥の方にテントが見えます。                
久住で芹洋子コンサート(一日目)


             長者原から登ってきて、坊ガツル、法華院へ向かいました。  
久住で芹洋子コンサート(一日目)


            時間があったので「平治岳(ひいじだけ)」に登りました。
         見事な「ミヤマキリシマ」でした。一週間前の久住山は全滅でしたが・・・
久住で芹洋子コンサート(一日目)


                    「平治岳」(1643m)の頂上にて。
久住で芹洋子コンサート(一日目)


                当日の会場である法華院温泉山荘です。
久住で芹洋子コンサート(一日目)


            「芹洋子コンサート」のポスターです。
           前日は九重文化センターであったようです。
久住で芹洋子コンサート(一日目)


             法華院温泉山荘の夕食です。かなりの品数とボリュームでした。
久住で芹洋子コンサート(一日目)


               プロジェクターで芹洋子さんを紹介していました。
             この後歌が始まると歌詞が画面に表示されていました。
久住で芹洋子コンサート(一日目)


         「芹洋子」さんです。客席に降りて歌いながらすぐ傍まで来てくれました。
久住で芹洋子コンサート(一日目)










 


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Posted by PANDORA at 20:37│Comments(8)登山アウトドア
この記事へのコメント
最近、ミヤマキリシマ三昧ですね。
平治岳でもベストタイミングでミヤマキリシマを愛でることが出来たようですね。
法華院温泉は芹洋子さんの来援で山小屋の歴史に残る賑わいだったでしょう。
芹洋子さんもご当地でのコンサートに思い迫るものがあったことと思います。
Posted by dojyou38 at 2014年06月19日 21:51
dojyou38さん

 こんばんは!

 この2週間ほどで、由布岳、久住連山の主だった山を登りました。

 「ミヤマキリシマ」が綺麗でしたが平治岳が一番でした。

 芹洋子さんのコンサート(坊ガツル讃歌、四季の歌等)を目の前で
聴けたことは、山男として一生の思い出になるでしょう!
Posted by PANDORAPANDORA at 2014年06月19日 21:59
こんにちは!

「坊がつる讃歌」は高校時代、修学旅行で九州へ行ったとき、バスガイドさんが歌われて初めて知りました。

美しいメロディーと歌詞にひきこまれ、一気に覚えました。今でも歌えますよ(笑)

芹洋子さん、そんなご苦労がおありだったのですね。
4番の歌詞を会場のみんなで合唱したという話は感動的です。なぜか『ビルマの竪琴』のワンシーンが思い出されました。

いいお話をありがとうございました。
Posted by かぎろひ at 2014年06月22日 11:40
かぎろひさん

 こんにちは!

 私は九州出身ですが、この歌は知りませんでした。

 高校卒業後関西に出て就職も関西でしたから、芹洋子さんが
「坊ガツル」を唄った頃は関西の人間でしたので・・・

 芹洋子さんが交通事故で記憶喪失になったことは、以前ネット
で知っていましたので、今回のコンサートは直ぐに飛びつきました。

 『ビルマの竪琴』は高校の頃、私も見て感動したのを覚えています。
Posted by PANDORAPANDORA at 2014年06月22日 14:35
芹洋子さんの声は大好きでしたが、そんな大けがをした事は知りませんでした。

でも、ご主人様の支えで、コンサートを開けるまで回復してよかったですね。
4番が出てこない時、皆が一斉に歌ったという話に感動をしました。

坊ガツルも好きですが、そんな山の上にあるとは知りませんでした。

坊ガツルの歌を、苦労して昇って聴くって、感ひとしおですね。
Posted by ノンノンノンノン at 2014年06月24日 18:30
ノンノンさん

 こんばんは!

 芹洋子さんの記憶喪失は知っていましたが、「坊ガツル」の歌を
知りませんでした。山男としては失格かも?

 と言っても最近山に登りだしたところですが・・・

 1300mの山小屋で聴く「坊ガツル讃歌」は最高でした!
Posted by PANDORAPANDORA at 2014年06月24日 22:31
法華院温泉で芹洋子さんが「坊ガツル讃歌」を歌うイベントは
そうめったにないことですので、是非、聴きたかったのですが・・・。
くじゅう登山では坊ガツルの歌は山男・山女の一番の愛唱歌ですし、
いい歌ですね。
Posted by taminamikawa1 at 2014年07月06日 14:11
taminamikawa1さん

 こんばんは!

 芹洋子さんは好きな歌手の一人だったので感激しました。

 観客席まで降りてきて、すぐそばで歌ってくれました。

 またほんの一瞬ですが彼女と会話できたことも、素晴らしい
思い出として残るでしょう!
Posted by PANDORAPANDORA at 2014年07月06日 21:29
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