2015年05月10日

宮崎・可愛岳登山

 ゴールデンウィークの最終日(6日)から一泊で宮崎の山に登ってきました。

 九州自動車道や大分自動車道、新しく開通した東九州自動車道も連休の最終日ということで、
なおかつ下り線ということもあって、かなり空いていました。天神日銀前を6時20分に出発し、別
府湾SAでトイレ休憩したあと、宮崎県の北川ICを目指しました。

 北川ICを降りて直ぐの国道10号線沿いに「道の駅北川はゆま」があり、ここで昼食の弁当やお
茶などを購入しました。車を北川町俵野の「西郷資料館駐車場」に停めて登山の準備をしました。

 この「西郷資料館」とは西南戦争の時に敗走する西郷隆盛が最後の軍議を開いた場所でした。
 今回登る「可愛岳(えのたけ)727.7m」は最後の軍議で解散を決してから更に山越えで二週間
程かかって鹿児島まで逃げ延びたといういわくつきの山でした。

 余談ですが、西郷隆盛が戦った西南戦争は知っていましたが、熊本の田原坂まで攻め入って、
最後は官軍に攻めたてられ鹿児島の城山で自決したくらいしか知りませんでした。資料によると
明治10年2月14日から9月24日までの約7ヶ月の間、南九州全体で壮絶な戦が繰り広げられ
官軍、薩軍の双方に7千人弱の戦死者がでた国内最後の内戦だったようです。

 下山してきてもう少し詳しく勉強したくなり、資料を当たっていると司馬遼太郎の「翔ぶが如く」が
西郷隆盛と大久保利通を題材にした小説で西南戦争も詳しく書かれているようなので、改めて単
行本でも購入してみようかと思っている次第です。

 話がそれましたが、可愛岳登山口で登山の準備を済ませた後、10時に出発しました。この日は
翌日の「大崩山登山」の予行演習的な面もあり、天気も良く快調に山頂を目指しました。途中に「
薩軍敗走路」の案内板を横目に見ながら西郷どんもこの道を登ったかと思うと、その時の胸中や
如何にと思いを馳せました。

 南尾根ルート分岐まで来ると一気に視界が開けて南側に延岡の街並み、北川、五ケ瀬川、日向
灘などが一望にできました。花崗岩の巨石群を横目に見ながら「鉾岩」でも景色に見とれ、さらに
しばらく登ると「可愛岳」の頂上に着きました。

 明日登る「大崩山」や祖母山、傾山などが北西に見え、また西側には「行縢山」(むかばきやま)
と言う一風変わった名前の凸凹した山塊も目に入りました。ここで昼食を摂りしばらく休憩して下山
を開始しました。下山ルートは「南尾根ルート分岐」まで戻って、その後は「烏帽子岳」経由で登山
口へと下りました。16時頃到着し山行きの道具を車に積んで、その日の宿泊先である上祝子(か
みほうり)の「渓流荘」へ向いました。

 この上祝子も薩軍の敗走路になっており、車では1時間ほどの場所ですが、かなりの山奥で徒歩
での逃避行は想像を絶する苦難の連続だったと想像されます。

 渓流荘では早速風呂に入って汗を流し、部屋に戻って一服して食堂に向かおうと思っていました
が、風呂から上がって部屋に戻ろうとすると、宿の女将さんがそれを押しとどめて、「すぐに食事に
して!」と言うなり食堂の入口で抱き着いてきました。女性に抱き着かれた経験は記憶にないほど
昔だったので、一瞬何が起こったのかとびっくりしました。

 要は女将さんは通いなので夕食を出来るだけ早く済ませたかったというのが真相です。賄の女性
と二人で切り盛りしており、夜は延岡市内の家へ戻っているようです。それが証拠に、その後もう一
組の宿泊客が来ると、お風呂も勧めずに荷物を部屋においたら直ぐに夕食を食べるように指示して
いました。翌日の朝食と昼食の弁当を貰って支払いも済ませたのは言うまでもありません。

 夕食は大きなアルミの弁当箱に山菜を中心とした料理が並んでいました。びっくりしたのは油で揚
げたニンニクの束(一束に十粒くらい)がでんと構えていたことです。元々ニンニクは好物なので美味
しく頂きましたが、他にもよく判らない山菜のてんぷらなど量的には十分な料理でした。特にやまめ?
の甘露煮は柔らかくて頭から食べることが出来ました。
 
 いつもの様にビールで乾杯し、その後は持ち込みの焼酎で山談義に花を咲かせ最後の一滴まで
飲み干しました。五合瓶だったので4人で丁度良い塩梅に出来上がりました。呑みすぎると翌日の
山行きに影響がでるので、寝酒代わりの数杯程度でした。翌日は5時起床で5時半出発でした。


              二つの頂きの左が「可愛岳」で右が「烏帽子岳」です。
宮崎・可愛岳登山


              可愛岳登山路案内地図です。時計回りに登りました。
宮崎・可愛岳登山


            登山口にあった「西郷資料館」の前の記念写真スポットです。
宮崎・可愛岳登山


            「銀竜草(ぎんりょうそう)」です。湿った日陰に咲いていました。
宮崎・可愛岳登山


                     「可愛岳(727.7m)」の頂上にて。
宮崎・可愛岳登山


                宿泊した上祝子(かみほうり)の「民宿渓流荘」です。
宮崎・可愛岳登山







 

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Posted by PANDORA at 22:17│Comments(2)登山
この記事へのコメント
この日は好天に恵まれ何よりでした。
私は2度目の挑戦でリベンジ出来てよかったです。
復路 烏帽子岳の麓にあった自然石の墓石群は西郷軍の戦死者かと思いました。
もしそうだと、西郷軍は地元の人から慕われていたのでしょう。
Posted by dojyou38 at 2015年05月12日 11:02
dojyou38さん

 こんにちは!

 可愛岳の登山で、西南の役での西郷さんのことが気になりまして、
早速司馬遼太郎作「翔ぶが如く」の文庫本を購入しました。10巻まで
ありますのでボチボチと読み進めていくつもりです!
Posted by PANDORAPANDORA at 2015年05月12日 11:52
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