2020年11月23日

高取町の壷阪寺詣り

 昨日(11月22日)、高取町の壺阪寺へお詣りしました。「かぎろひ歴史探訪」の101回記念です。
 近鉄吉野線の「壺阪山駅」に10時に集合し、早速歩き始めました。今回は高取町に詳しい方の
ガイド付きでした。やはりガイドさんの説明があるとより詳しく理解できますね。

 初めは旧道の街並みを高取城に向けて歩き始めました。城下町なので至る所にその痕跡があり
街並み散歩を飽きさせてくれません。藩主下屋敷門(現石川医院)や植村家長屋門、夢創館(高取
町観光案内所)など城下町の佇まいも統一されていて住民の意識が高いことを感じさせられました。

 途中の大きな門跡の説明を受けた時に、幟がなびいており「日本最強の城」と言う文字が見えま
したのでガイドさんに「日本最強とはどういう意味ですか?」尋ねたところ、「日本三大山城の一つ」
で戦火を免れた山城と言う意味のようでした。

 日本三大山城とは「備中松山城(岡山)、美濃岩村城(岐阜)、大和高取城(奈良)」の事を言うよ
うで、高取城は明治期に取壊しになりましたが、いくつかの戦でも滅ぼされることもなく戦火に合うこ
ともなかったので「最強の城」となったようです。

 関ケ原の戦いで東軍に加勢した藩主(本多俊政)が留守の時に、西軍の石田三成に攻め込まれ
ましたが、本多正広(本多俊政の従弟)が、この要害のお陰で敗退させたことや、幕末に「天誅組の
乱」があり、高取城も攻撃を浮けたが、地の利や奇襲攻撃、大砲による威嚇などで撃退したことなど
が「最強の城」と言われるようになった謂れのようです。

 その後も高取の街並みを散策し、途中から清水谷の山道に入り最後はやや急な坂道を登ると
そこには「壷阪寺」の駐車場がありました。そこからは拝観料を払って壺坂寺に入り、昼食の時間
まで自由散策となりました。

 このお寺は西暦703年に元興寺の弁基上人が開祖で設立され、その後朝廷より壺阪山南法華
寺の正式寺号を賜ったと言うことのようです。西国三十三ヵ所観音霊場の第六番札所と言うことで
真言宗のお寺です。小生も?十年前に家族みんなでお詣りした記憶があります。

 ここのお寺で有名なのはインド渡来の高さ20mの白い「大観音石像」と「大涅槃石像」です。遠く
からも見ることが出来てこの寺のシンボルともなっています。皆で記念撮影などをしながら寺内を
散策しました。お昼になったところで昼食を摂り、その後先生の講演となりました。

 講演内容は壺阪寺の成り立ちや、南都の各寺院(東大寺、興福寺、元講寺等)が現在やや衰
退の歴史をたどっている事と比べて、現在も隆盛を誇っており業容を拡大していることなどから、
民衆の信仰の厚さや寺勢拡大の努力を惜しまないところなどの話がありました。
 
 講演のあとは更に境内を散策しましたが、ここのお寺は写真撮影が全てOKで太っ腹な所は感
激しました。また眼病に霊験あらたかな観音様として広く信仰を集めてきたようで、堂内には眼鏡
の供養のために多数の使い古した眼鏡が奉納されていました。また礼堂の前には大きな眼鏡の
木枠が設置されており、そこをお祈りしながら潜り抜けると眼病に効くとのことでした。
 
 そろそろ下山しますとの案内がありましたが、バスの時間が一時間ほどありましたので、誰か
から「五百羅漢を拝みに行こう」との提案がありました。まだ体力に余力のあるメンバ(14人)が
賛同し、そこを目指しました。歩いて30分程とのことで、もし遅れた場合は次のバスにしようと決
まりました。

 決まったからにはやや急ぎ足で山道を登り「五百羅漢」に辿り着きました。最初は立派な羅漢
様が並んでいましたが、それは最近の像で実際の「五百羅漢」はその奥の岩に彫り込んでありま
した。昔はもっと多くの羅漢様が立ち並んでいたようです。現在は樹木に飲み込まれた形でその
一部が昔の面影を残しているとのことでした。羅漢様とはいっても個体ではなく、実際は岩に彫り
込んでいる羅漢様でした。

 バスの時間が気になったのでその後、急いでバス停へ向かいましたが、結果的には十分余裕
のある時間に降りてこられて、その後バスに揺られて「壺阪山駅」を目指しました。五百羅漢から
の下山中に登山姿のパーティをみかけましたが、あとで調べるとそのコースの延長上に「高取山」
があることが判りました。次の機会には壷阪寺と高取城跡に挑戦しようかなと思っています。

 壺阪山駅に到着後は近くの「双葉食堂」で希望者だけの打ち上げが行われました。コロナ禍の
中でソーシャルディスタンスを取りながらの反省会となりました。


           壺阪山駅の前の「高取町」の看板です。 
高取町の壷阪寺詣り


              小島神社の参道です。
            かなり古い灯篭が並んでいました。。
高取町の壷阪寺詣り


         高い塔は木造のエレベータです。 
       昔、賑わっていたことが証明できますね。
高取町の壷阪寺詣り


            境内の「大釈迦如来石像」(壺阪大仏)です。
高取町の壷阪寺詣り


           この後に出てくる立像と同じ掌の大きさです。
            中央奥にうっすらと二上山が見えます。
高取町の壷阪寺詣り


      手前が「大涅槃石像」で奥が「大観音石像」です。(高さ20m)
            いずれもインドから送られました。
高取町の壷阪寺詣り


         「大観音石像」です。
高取町の壷阪寺詣り


     「大観音石像」を紅葉越しに撮りました。
高取町の壷阪寺詣り


               「仏伝図レリーフ」です。
             これもインドからの贈り物です。
高取町の壷阪寺詣り


         壷阪寺の本尊「十一面千手観音菩薩像」です。
高取町の壷阪寺詣り


   「壷阪霊験記(浄瑠璃)」でお馴染みのお里と沢一の像です。
高取町の壷阪寺詣り


           眼病予防・退治の「観音大めがねくぐり」です。
高取町の壷阪寺詣り









 
 
 

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Posted by PANDORA at 15:47│Comments(2)寺社めぐり
この記事へのコメント
好天に恵まれての歴史探索ウォーキング楽しかったことでしょう。
ガイド付きで収穫も多く有意義な1日になりましたね。

私は1年も関西に住んでいましたが高取町周辺は全く知りません。
ただ壷阪寺は歌舞伎などで名前だけは知っていました。

木造にエレベーターが残っているのは珍しく貴重ですね。
観音像や涅槃像は良く見かけますが、インドから贈られたのは少ないでしょう。

最後は反省会 良かったですね。
私は先日久し振りに葉山の仲間と金時山に登りましたが、
彼らが来るまで来ていたので反省会が出来なくて大変残念だったです。
Posted by dojyou38 at 2020年11月26日 22:36
dojyou38さん

 こんにちは!

 高取町や壷阪寺は奈良吉野の北側で大和三山を見下ろせる位置にありす。

 近鉄の下市口駅からバスで30分程入ったところにありますが、薬の生産地と
言うこともあり、あちらこちらにその痕跡が残っていました。

 壷阪寺の石像やレリーフは国や県の補助を受けたものではなく、お寺と地元
民の喜捨等で賄われているようで、今なお寺勢の興隆が続いているようです。

 この会は最後の反省会がセットになっていますので、希望者だけですが、それ
を楽しみに来ている人も多いようです。 

 
Posted by PANDORAPANDORA at 2020年11月27日 11:32
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